2006年3月23日

夢を追いかけて3<園長のエッセイ>

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24歳の時に夫と別れてから、一人で子供を育てることになりました。それなりにモデルとしての仕事もありましたが、収入にバラつきがあり将来のこと不安がありました。
 そこで母と私は大和市にあった家を売り、横浜のはずれの新興住宅地に店舗付き住宅を建て、手芸店と美容院を経営することにしました。生まれて初めての商 売です。自分で言うのも変ですが、手先の器用だった私たち親子は編み物教室へ通い、刺繍を改めて学び、なんとか手芸店開店にこぎつけたのでした。美容院の 方はなかなか技術者が決まらず難航しましたが、当時珍しかった男性美容師にお願いすることが出来ました。一人で3足のわらじを履くのは並大抵のことではあ りませんでしたが、幸い保育園が近くにあり、母子家庭だったので二人の子供をすんなり入れることが出来たのです。

 さて、商売の方はというと・・・思ったより利益が上がらないのにびっくり。こんなものなのかなぁとため息をつく毎日でした。そんな時、車で20分 ほどの所でスナックが売りに出ました。夜も有効に使おうと思っていた矢先だったので、思い切って始めることにしました。入り口にはお手製ののれん、おすす めは焼き鳥。ジュークボックスに8トラックのカラオケセット、当時としてはこじゃれたものでした。鶏の首の部分を仕入れてうなぎ刺しにした焼き鳥、秘伝の たれも人気となり、焼き鳥だけを買いにくるお客様もいました。

 モデル、手芸店、美容院、焼き鳥屋と目まぐるしく働いていたころ、ある撮影現場で白い犬を連れた男性と知り合いました。そして彼は、今日これから 撮影に使うライオンの子供を動物業者に取りに行くという話をしていました。ライオンの子供、私にとっては特別な動物です。中学生の時に初めて見た野生動物 でした。なんとか一緒に連れてってもらうことになり、ライオンの臭さとフニャフニャの肉球、ジャリジャリした舌を思う存分楽しみました。ガラス越しでは味 わえない感動でした。動物好きの子供たちや母にも見せてあげたいと思い、家にも寄ってもらったのです。みんな大喜びで、興味津々でした。ライオンの子供が 縁で、小さな動物プロダクションを経営していたその男性と再婚することになったのです。

 余り深く考えていなかった・・・というのが本音なのですが、結婚してから発覚したことがたくさんありました。当時、彼の動物プロダクションは川崎 インターのすぐ側にありました。犬舎にはたくさんの犬、車庫にはポニー、水たまりにはアヒル、台所には山のように積まれたカゴ、そしてその中に猫猫猫。お まけに借金もあったのです。借金は動物プロダクションを切り盛りして返していけば良いと思いましたが、もうひとつ問題がありました。そこが東北ニュータウ ンの建設用地に引っ掛かり、立ち退かなければならなくなったのです。

 借金を重ね、厚木市に土地を求め、引越しを決めるまでそう時間はかかりませんでした。大昔、天然氷をつくっていたという場所で清水が湧いており、 小川が流れていました。とりあえず猫と犬を収容できるように建設を始めました。ようやく完成と思ったころ、大変な出来事が起きました。

 この土地は国定公園の一部に掛かっており、建物を建ててはいけないと市役所に勧告されたのです。全財産を投じて新たな土地に移ったのに、何と運が 悪いのでしょう!なんとかならないかと掛け合った結果、養豚場なら良いというので豚を6頭飼うことになりました。でも、入口に造ったアメリカ風のテラスは 建築物になるということで撤去させられました。防音壁の役目も果たしていたので、今度は近隣に犬の声が響き渡るようになってしまったのです。苦情が殺到し ました。特に数百メートル先に住んでいたおじいさんは、一日中望遠鏡で監視し、犬が何匹いるとかいろいろ役所に言い付けました。

 しかたなく大型犬数匹を横浜の自宅の庭へ連れて帰りました。衛生上良くないということで、美容院を廃業して手芸店を大きくし、しばらく営業してい たのですが、そのうち、フラミンゴやらチンパンジー、タヌキなどみるみるうちに動物が増え、全てやめることになりました。小学校への通学路だったため、子 供たちが家の前を通るたびに「クセー」と言っているのを見たり、聞いたり。子供たちもそのことでいじめられるようになってきました。

 動物たちとの暮らしに夢を抱いていた私は、早くも挫折感でいっぱいになりました。それと同時になんとかしなくてはという気持ちがむくむくと湧いて きて立ち向かおうという気になりました。私が持っている全てのもの、横浜の家、焼き鳥屋、全財産、ぜーんぶ投げ打って新天地を探す覚悟をしたのです!
 
 映画「星になった少年」の冒頭に銀行屋さんが借金の催促に来るシーンがありますが、事実です。新天地として千葉県東金市に移ったのですが、横浜の家がな かなか売れずに、新しい家の分とふたつのローンを払うことになってしまったのです。加えて結婚前に夫がつくった借金もありました。本当に本当に火の車だっ たのです。

 動物のレンタル業も幸いなことに少しずつ軌道に乗り始めてきました。昼間は東京のスタジオへ、夜は厚木市から動物たちの引越しを繰り返す毎日。ようやく移転が終わったのは昭和55年の11月でした。

 それからは飼育場の建設に追われる毎日。業者さんに頼むお金は底をついていました。ペンギンとフラミンゴの為に池が必要なのに・・さて、どうしよう。当時働いていた玲子ちゃんが言いました。
「じゃあ私たちで造ればいいんじゃないでしょうか?」
「そうね、穴を掘って丘を作り、コンクリートで固めれば良いのよね。やってみましょうか。」
 私はなけなしのお金を持って金物屋さんへ行き、生まれて初めてコンクリートの粉を買いました。
「こねるのには砂が必要ですよ」
 金物屋さんが親切に教えてくれましたが、砂を買うお金はなかったのです。私は「いらないわ」と澄まして言いました。砂は海に採りに行けばいいわ・・私は内心そう思っていました。だって砂を買うなんてもったいないもの。その夜、玲子ちゃんと海岸へ砂泥棒に出かけました。
 
 あくる日、フラミンゴが楽しく過ごしている様子を思い浮かべながらの作業です。待望の「初セメントこね」もやりました。思ったより簡単ね、女がセメント をこねて何がいけないの!私たちでも出来るわ!私は自信に満ちていました。そして明日水が溜められたらいいな、という思いで翌朝を迎えました。しかし、池 はぼろぼろに崩れ、セメントが固まっていません。
「あのセメントがいけなかったのね!不良品だわ!」
 私は怒り心頭で金物屋さんへ向かいました。事の顛末を金切り声でまくしたてることおよそ5分。
「奥さん、砂は何を使ったのですか?」
 金物屋さんが恐る恐る口を開きました。
「もったいないもの、海に行って採ってきたんですよ!何が悪いんですか!」
 それを聞いた金物屋さんは、お腹を抱えて笑い出しました。
「分かりました。お金はいつでも良いですから、今からセメントと砂を持っていきますよ。ついでに池もみてあげましょうか?」
 金物屋さんの力も借りてもちろん完成しました。後から聞いたのですが、海の砂には塩分が含まれておりセメントをこねるのには適していなかったのです。初心者の大失敗です。でも、それからというものその金物屋さんと仲良しになり、色々手伝ってもらうことが出来ました。



市原ぞうの国 勝浦ぞうの楽園 小百合園長


< ELPHA FRIENDS & LEA NEWS 2006春号に掲載 >
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