2006年1月アーカイブ

久しぶりに大雪となりました。まだたくさんの雪が積もっている中をぞうさんたちは元気に歩いています。その様子を横目に、アジアゾウの本を制作中です。乞うご期待!!(2月末発売予定)

「星になった少年」のDVDが発売されました。映画を観た方も買ってくれると嬉しいです。この土日にはランディも直接販売しました。映画もDVDも 何回も観て、今日やっとぞうの国に来ることが出来ましたというお客様がいらして感無量。よく尋ねられるのが「その後のたっくんのこと」。実は今、再度ゾウ 修行の為にタイに行っています。タイ語やゾウのこと少しでも多く学んできてくれると良いのだけど。

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すっかり雪景色の市原ぞうの国です^^; 朝から雪かきに追われています。タイから来ている「ゾウ使い」さんたちはちょっと嬉しそう。「お父さん雪を初めて見たんだよ」と故郷にいる子供に自慢げに電話していました。小竹副園長は昨日からずっと雪と格闘しています。



雪とぞうさん

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多いところでは40cmも雪が積もっていました。寒いのは苦手なぞうさんたちですが、なぜか雪が大好き。器用に鼻でまるめて、パクパク。「イチゴシロップがあればもっと美味しいのになぁ〜」byミニスター。




雪とぞうさんショー

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14:30からは「ぞうさんショー」も行われました。雪に囲まれてのぞうさんショーは滅多に見られませんね。

**園内はまだまだ雪が残っております。凍結している場所もございますので、ご来園の際は充分ご注意ください**



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2006年1月15日

ぼくは人気者(2)

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正解は「九官鳥の九ちゃん」です。市原ぞうの国のスタッフの中でも☆☆接客態度NO,1☆☆
隠れファンも多い九ちゃん。外に出ていない時はお客様から「あの鳥はどこですか?」と聞かれることもしばしば。寒い季節はほとんど外に出ませんが、暖かい日にご来園の際は九ちゃんに声をかけてあげでくださいね。(わるい言葉は教えないでね。お願いします。)

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2006年1月14日

ぼくは人気者(1)

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問題です。ぼくは誰でしょう? 
ヒント1 暖かい日にはお客様をお出迎えしています。「こんにちは〜」「すいません〜」
ヒント2 時々入園券をお客様から取っちゃいます。出されたらついクチバシが出ちゃうのです。
ヒント3 お帰りの際は「バイバイ〜」と声をかけています。 正解は・・・

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アジアゾウ ランディは1月10日〜20日まで勝浦ぞうの楽園へ遊びに行く予定です。
昨年は 映画「星になった少年」のキャンペーンで全国をまわり大忙しでした。
市原ぞうの国にいないのは寂しいけれど、勝浦の豊かな自然の中でゆっくり休んでね、ランディ。

***ランディは1月10日〜1月20日まで勝浦ぞうの楽園で過ごします***
***市原ぞうの国にはいませんので、ご注意ください**********


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市原ぞうの国には正式ではありませんが「衣装部」があります。イベントなどで使われるぞうさんの衣装は全てスタッフの手作りです。

現在、1月8日(日)に行なわれる「ミニスター・サンディの成人式」に向けて衣装を作っています。

実は園長が25年程前、横浜で手芸店を営んでいたことがあり、糸や飾りに使うレースなど材料が豊富にあるのです。(どれだけ物持ちが良いのでしょうか!?)今回も購入したのはちりめんの布のみです。他にも七五三の帯などを再利用しています。

スタッフの心のこもった衣装を身にまとい、ミニスターとサンディは晴れやかな日を迎えることでしょう。

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2006年1月 5日

シール1枚で・・・

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ぞうさんショー中に行われる「ぞうさんのお買い物」の商品に小さなシールが張られていること、お気づきでしょうか?「応援してます!新潟中越」と書いてあるこのシール1枚で1円の義援金となり、被災地の経済復興の為に使われます。

昨年、映画「星になった少年」のキャンペーンでアジアゾウのランディと共に新潟県の小千谷市を訪れました。復旧作業が進んでいましたが、至る所で災害の大きさを認識しました。

被災地で暮らす人たちは2度目の厳しい冬を迎えています。この小さなシールを付けた「エルファのぬいぐるみ」が、ほんの少しでも役立てば…市原ぞうの国はこれからも この活動を応援していきます。

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市原ぞうの国、勝浦ぞうの国で暮らすぞうさんは全部で9頭。7才から57才まで様々な年齢層のぞうさんたちが暮らしています。

一番年上は勝浦ぞうの楽園で暮らす「アジアゾウ アキ子57才(推定1949年生まれ)」です。ちゃんとした誕生日が不明なため、毎年1月1日にひとつ年を取ります。

「アジアゾウ ようこ」は推定1967年生まれの39才、「アジアゾウ ミッキー」は推定1978年生まれの28才、映画星になった少年のモデルと なった「アジアゾウ ランディ」は推定1980年生まれの26才です。「アジアゾウ ミニスター」と「アフリカゾウ サンディ」は推定1986年生まれの 20才となり、人間で言う成人式を迎えます。

一番年下は市原ぞうの国で暮らす「アジアゾウ マミー7才」です。マミーはワシントン条約締結後に日本に輸入されたので正式な誕生日が分かります。1998年1月24日生まれなので、もうすぐ8才になります。

同じように「アジアゾウ テリー」は1992年11月13日生まれで今年14才、「アジアゾウ プーリー」は1991年1月18日生まれで今年15才になります。

ぞうさんの平均寿命は60〜80才、動物園飼育下では60才といわれています。人間とほぼ同じように年を重ねていくのです。

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「大人になったら何になりたいか?」
 小学4年生の時、作文の宿題が出ました。女の子が夢見るエアホステス(スチュワーデス)やお嫁さん、いろいろ考えましたが、私の頭に浮かんだのはこれでした。
 「ミスユニバースになって、お金持ちになる!」
 1959年、世界一の美女 ミスユニバースに選ばれた小島明子さんに強い憧れを持っていたのです。その頃の私といえば、そばかすだらけの赤い髪。まわりの人と違う容姿に劣等感を抱いていました。
 数日後、先生が「将来の夢についてすごいことを書いた人がいる」と、私に作文を読ませました。そして私がミスユニバースの夢を語り終えた後、先生は「な れないような人になろうとは思わないように」と注意したのです。あれから45年余り…私はひどく傷ついた当時のことをいまだに根に持っています。
 ミスユニバースにはなれなかったけど、トップモデルになって少しはお金持ちになれましたよ、先生覚えているかしら?

 我が家には犬のマイクと猫のミミに加え、うさぎとカメも飼っていました。カメは道端で拾ってきて、冬はバケツに土を入れて部屋の隅で冬眠もさせま した。もちろんペットフードなど無い時代なので草を摘んできたり、八百屋さんにくず野菜をもらいに行ったりと一生懸命育てました。
 猫のミミは器量良しで、恋の季節になると庭にはオス猫たちがどこからともなく集まり、ミミの争奪戦を繰り広げました。ミミはそんなオスたちの姿を窓辺か ら悠然と見ていました。どの男もタイプじゃないのよ、そう言っているようでした。中学1年生の時、ミミが死にました。隣の家の人が畑で見つけてきてくれた のです。雨上がりの日で、ミミはびっしょりと濡れていました。私にとって初めての動物の死でした。後を追うように、マイクも死んだのです。老衰でした。
 翌年の4月、またひとつの悲しい別れが訪れました。99才になる祖祖母が風邪で1週間寝込んだ後、静かに息を引き取ったのです。今でいう在宅死でした。 亡くなる少し前まで、いつもミミがいた縁側で腰ひも(着物を着る時に使うひも)を縫って近所の人に配っていました。学校から帰ると針山に刺さっているたく さんの針に糸を通してあげるのが私の日課でした。
 祖祖母が亡くなった後、落ち込む私を元気づけようと、母は高島屋で行われているある催し物に私を誘いました。そこで私はこの後大きく影響を受けるある動 物と出会ったのです。ライオンの子供でした。「世界珍獣即売会」という催し物で、値段は5万円。かわいくて気高いその姿に夢中になり、何度も何度も足を運 びました。欲しくて欲しくてたまらなかったのですが、お金も無いし、なにより飼える環境ではないことが分かっていました。これが私と野生動物との初めての 出会いでした。

 中学3年生の終わり、私は運命的な出会いをしました。山手教会の日曜学校で知り合った友達から、ぜひ紹介したい人がいると言われて会うことになっ たのですが、ああいうのを一目ぼれっていうのでしょうか。明けても暮れても彼のことばかり。初めてのデートは野毛山動物園。彼も動物が大好きでした。
 何度かデートを重ねたある日、彼から1匹のシマリスをプレゼントされました。ふたりでデュークと名付けて、一緒に散歩もしたりしました。毎日学校の帰りに大勢の友人を連れて我が家を訪れ、一緒にトランプをしたり、料理をつくったりと楽しい高校生活を過ごしました。
 「ミスユニバースになる」という私の夢はどこかへ行ってしまって、「高校を卒業したら彼のお嫁さんになる」が私の一番の夢となりました。
 しかし、いざ結婚となると話は別です。相手は大きな会社の跡取り息子、彼の両親から猛烈に反対されました。我が家の嫁にはふさわしくない、父親のいない家庭に育った混血の子だからと。運命とは何と残酷なものでしょう。こうして私たちの恋は終わりを告げたのです。
 高校を卒業して、私はファッションモデルになる道を選びました。実らなかった恋への悔しさから、いつか見返してやるという気力が生まれたのです。でも、 自ら選んだその道は決して平坦なものではありませんでした。ハーフのモデルはまだ珍しい時代で、最初から仕事に恵まれましたが、それだけでは業界で生き 残っていけるばずもありません。私は持ち前の真面目さと熱心さ、そしてなにより美しさでトップモデルへと登りつめたのです。思えば、あの悔しさが無ければ モデルの私も今の私も無かったのです。

 目まぐるしい忙しさの中で、小さい頃からの夢であり、また祖母との約束でもあった芝生の庭がある赤い屋根の家を、神奈川県大和市に購入したのは二十歳の時でした。
 そして撮影現場で出会った人気モデルの男性と結婚、長女を授かりました。1970年代に入ると、それまでの家父長制的な家族の形からもっと明るく楽し く、平等的な夫婦や家族の形がもてはやされるようになり、「ニューファミリー」と呼ばれ流行しました。私たちはその代名詞のようなもので、“週末は家族そ ろって○○デパートへ”などと家族3人で楽しそうに笑う姿が雑誌や新聞の広告に載りました。
 でも、実際の生活は少しずつ歯車が狂っていき、長男 哲夢が1歳半を迎えた頃、私たち夫婦は別々の道を歩むことになったのです。私は子供たちを連れて「シングルマザー」になりました。

 離婚してからも「ジュノン」「主婦と生活」「マダム」など一流雑誌の表紙を飾り続けましたが、年齢を重ねていくことを考えると、何か新しい仕事を見つけなければと思うようになりました。
 ちょうどその頃、アメリカ映画「ドーベルマンギャング」が公開されました。訓練されたドーベルマンを使って銀行強盗をするという、犬たちの華麗な演技が 光る映画でした。スクリーンを駆け回る犬たちは生き生きとしているようにも見えました。それというのも、私が出会った撮影に使われる動物たちはスタジオの 隅で悲しそうな目をしていたのです。その頃は「動物プロダクション」は存在せず、どこからか集められてきた動物たちに付き添う人間もいませんでした。生き 物ではなく、美術のセットの一部として扱われる彼らを少しでも楽しい表情にしてあげたい…。そんな想いが私を次に進む道へと導いてくれたのかも知れませ ん。


市原ぞうの国 勝浦ぞうの楽園 小百合園長

< ELPHA FRIENDS & LEA NEWS 2006新春号に掲載 >
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2006年1月 1日

***A HAPPY NEW YEAR 2006***

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今年もよろしくお願いします 市原ぞうの国 勝浦ぞうの楽園
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なんとかお天気はもったものの、曇り空の冷え込む元旦となりました。この寒さではお客様も少ないだろうと思っていましたが、たくさんのお客様にご来園頂き ました。その中にはいつも来てくださる「友の会」の方のお顔を多数拝見することが出来ました。「いつもお正月に孫を連れて来るんですよ」とお声を掛けて下 さる方もいらっしゃいました。2006年もどうぞよろしくお願いいたします。そして皆様にとって幸せな1年でありますよう心からお祈りしております。
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