2005年10月14日

夢を追いかけて<園長のエッセイ>

 

myzoo03.jpg

私が産まれたのは昭和24年12月のことでした。当時の日本は進駐軍が全てを支配しているような世の中。アメリカ兵と正式な結婚が出来ないまま、母は私を育てることになったのです。  外人墓地に近い、山手の外れにある小さな家に、祖祖母、祖母、母、私、4世代で暮らしていました。物心がついた時には動物もいました。柴犬の「マイク」、白黒の美しい縞模様の「ミミ」です。男がいない家庭だったので、特にマイクは防犯上、必要でした。

現在では高級住宅地になっている私の散歩コースには、アメリカ兵が暮らす家がたくさんありました。青々とした美しい緑の広い芝生、赤い屋根に白い 塀の大きな家。アメリカ兵と日本人の家庭もありました。家には私より少し年下の子供たちの姿があったのです。大きなソファーでくつろぐ姿に、うらやましい というより、あきらめに似た気持ちだったのを覚えています。幼いながら、よく分からない自分の運命を黙って受け止めるしかなかったのでしょう。80歳を超 えた祖祖母とマイクと共にその家の前を通る度に、大きくてたくましいシェパード犬に吠え立てられました。負けずにマイクは応戦するのですが、足腰の弱い祖 祖母はその勢いに何度もよろけてしまうのです。そんな時、私も塀の向こう側にいられたかも知れないのに…という思いが込み上げてきたこともありました。そ して、いつも「私が大きくなったら赤い屋根で白い塀の家を買ってあげる」と、家族に話していたのです。

 自分の容姿が他の子供たちと違うことを意識し始めたのは、幼稚園に入った頃でした。当時の私はコンプレックスの固まりで、幼稚園で度々孤立してし まうこともありました。山手協会に付属するみこころ幼稚園まで、祖母に手を引かれながら歩いた道のりがひどく憂鬱に思えたものです。

 その当時の思い出で一番楽しかったことといえば、母の休みに連れて行ってもらった野毛山動物園です。お面や駄菓子売りの人たちの間をぬっていく と、ゾウがいて、丸い台の上でくるくると回っていました。子供の目から、ゾウは本当に巨大に見えたのです。小山のようなその姿に、ただひたすら見入ってい ました。

 公立の小学校に入学させたらいじめられるかもしれない、母の思いもあって横浜雙葉小学校に入学しました。母は横浜の進駐軍専用百貨店(NAVY EXCHANGE)で働いていました。他の職に比べてお給料は良かったようですが、学費を捻出するのは大変だったと思います。
入学してから、自分の置かれている家庭環境と他の生徒とのギャップに驚かされることがたくさんありました。ある日、学校で色鉛筆を持ってくるようにと言わ れ、1本に2色の色鉛筆で12色入ったものを買ってもらいました。喜んで学校に行くと、隣の子は1本に1色で36色入りを持ってきていました。私の色鉛筆 に紫色はありませんでした。
高級外車で送り迎えをしてもらっているお嬢様もたくさんいました。私は祖母と一緒に学校まで50分かけて歩いて通いました。仕事が忙しく時間のない母に代 わり、祖母が私の世話をしてくれたのです。毎日愛情あるお弁当を持たせてくれ、私の髪を三つ編みにしてきれいなリボンもつけてくれました。
明治生まれの祖母は凛とした人で、茶道と華道のお教室を開いていました。夜になると、隣の部屋から聞こえてくる花鋏のパチンという心地よい音に、ミミと一緒にコタツで丸くなって寝てしまったのを思い出します。

 思い出したくない記憶のひとつに、犬殺しのおじさんがいます。私の住んでいる街には野犬がたくさんいたのです。多くがアメリカ兵の帰国に伴い置き 去りにされた犬たちです。進駐軍のジープが行きかう街で、ボロボロのトラックに乗ってやってくるおじさんは、子供の私にとって恐怖でした。ワイヤーの付い た棒を振り回し、犬を捕まえ、荷台に粗雑に張られた網の中に入れるのです。今では、当時のその仕事が必要であったことを理解していますが、犬には何の罪も ありません。可愛がってもらっていた家族の突然の帰国により路頭に迷い、アメリカ兵のゴミ箱の食べ残しをあさるしか生き残る道は無かったのです。
しばらく我が家のまわりをうろつき、そっとエサをあげていたシロが捕まった時、私は必死でおじさんに食い下がりました。
「お願いですから、犬を返してください」
「お嬢ちゃんの言うことは聞けないよ。お父さんに後で話しに来てもらわないとね」
「家にお父さんはいません。お母さんでいいですか?」
その言葉を聞いて、おじさんの目がギラリと光りました。そしてこう言い放ったのです。
「なんだ 合いの子か、余計返せないよ」
私は理解し始めていた自分の運命を、その時初めて呪いました。網の中でブルブルと震えていたシロが戻ってくることはありませんでした。

 学校からの帰り道、捨てられている犬や猫を拾ってきては母に迷惑をかけました。母は友人にもらってもらうために奔走していたようです。大きな犬に 追いかけられている人を見かけたこともありましたが、私には襲われた記憶がありません。犬がいると遠くから声を掛けていたのです。心の中で「どうしたの?  お腹が空いているの? 私のこと咬みに来ないでね」と思っていたのです。私のその気持ちが分かったのか、犬は遠くから私を見つめるだけでした。

 我が家の猫、ミミは良く子供を生みました。仔猫たちがいる時はにぎやかになりました。天真爛漫に遊ぶ様子に笑いが絶えなかったものです。今と違っ て炭を利用したコタツだったので、ある時仔猫が大やけどを負ってしまいました。助からないかもしれないと誰もが思いましたが、祖母は仔猫を隣町にある獣医 さんまで連れて行きました。ようやく歩くことが出来るようになった時は飛び上がって喜びました。

 貧しいながらも、心豊かな生活が送れたのは家族の愛情があったからだと思います。そして、幼い頃から動物に親しみ、たくさんの思い出が作れたことはとても幸せなことでした。


市原ぞうの国 勝浦ぞうの楽園 小百合園長

< ELPHA FRIEDNDS & LEA NEWS 2005秋冬号に掲載 >
|
BlogNewsのトップへ