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2006年07月14日

夢を追いかけて4<園長のエッセイ>

060710.jpg 多大な借金を抱えてスタートした東金市での生活は厳しいものでした。坂本との間に生まれた2歳の次女を含めて3人の子供たち、そして母と祖母、若いスタッフが数人。毎日、お財布と相談しながらのやりくり、青果市場のくず野菜をかき集めて動物のエサにしたこともありました。
 そんな生活の中でも、子供たちは田んぼに囲まれた豊かな自然を楽しんでいる様子でした。ザリガニやおたまじゃくしを捕まえてきて、日が暮れるまで泥んこになって遊んでいました。たくさんの動物たちに囲まれて暮らしてもいるので、日常生活はよそのお宅と少し違っていたと思います。そのせいで同級生からいじめられることもありました。食卓にチンパンジーがいる家庭なんて滅多にないでしょうから。

 動物プロダクションの仕事は、1本の電話から始まります。例えば、こんな感じ。
「車のコマーシャルなのですが、海辺でモデルさんと走る犬を探しています。」
「どんな犬が良いですか?」
「イメージとしては中型犬で、毛は短く、なにか模様があるといいですね・・・」
 FAXさえ無い時代です。相手が伝えるイメージを頭の中で絵にしていきます。そして犬の種類を考え、飼っている犬たちを照らし合わせます。当時、20頭程の犬たちがいて、ポインターやダルメシアンが当てはまりました。
 すぐに、候補犬たちの写真を郵送します。制作会社からは、絵コンテが速達で送られてきました。1本のコマーシャルを撮影するために何回も打ち合わせを重ねます。犬の動き方や撮影方法など話し合いますが、ここでひとつ重要なことがあります。「その犬に綱をつけられるか?」ということです。これは犬によって調教されている度合いが違うため、綱がないと走れない場合があるからです。外見がぴったり当てはまっても、撮影で求められることが出来ないこともあるのです。

 メール1本で済んでしまう今と比べると、すぐに何でも決められないかもしれませんが、お互いに顔を合わせ、話し、一緒に考えることができました。CGなどというものもありません。全てコンテ通りに撮影します。それだけに動物たちは高度な演技を求められていたのです。特に猫は気ままなものが多く、大変でした。当時60頭近くと暮らしていましたが、スターになれたのは数匹しかいません。その中でもサチコ(吾輩は猫であるというお酒のコマーシャル)マイケル(海辺をゆうゆうとお魚をくわえて歩いたコマーシャル)シッポ(へーベルハウスのコマーシャル 映画水の旅人)など皆様の記憶の中に残っている作品もたくさんあるのではないでしょうか。
 
 出演する動物は、犬 猫 鳥の順に多く、その他の動物は撮影の度に購入していましたので、どんどん家族が増えていきました。その生活費のために、動物プロダクションは高いギャラをいただかなければ経営が成り立ちませんでした。「ペットショップで買ったほうが安い」と言われることもしばしばありましたが、撮影の後はどうするのかということで、結局私のところが大忙しになったのです


 動物プロダクションの転機はなんといっても“おれたちひょうきん族”です。80年代を代表するフジテレビのバラエティ番組で、ビートたけしさんや明石屋さんまさんが出演していました。始まったばかりのその番組から“ホルスタイン牛”の出演依頼があったのです。横浜にいた頃は牛を貸してくれた乳牛屋さんがありましたが、引越しをして間もない頃で、知り合いも少なかったのです。目の前のガソリンスタンドから同級生の牛屋さんを紹介してもらい、訪ねることになりました。
 コタツでごろ寝を楽しんでいた“寅さん”のような腹巻した牛屋さんの第一声は「テレビなんかに牛は貸せねえ」でした。説得を続けると、自分も現場に行くという条件で了承してもらえました。

 本番の日、トラックで迎えに行くと足を踏ん張り「絶対に車に乗らないゾウ」という顔をした牛がいました。必死で荷台に押し込みようやく出発することが出来ましたが、テレビ局に着いてからも一苦労、今度はなかなか降りようとしません。なんとか降ろしてほっとしていると、「お前、何やってんだ?」と声を掛けられてびっくり。中学生の時に何度かダブルデートしたケイスケ君でした。この番組のディレクターだったのです。世の中って本当に狭いですよね…。彼の頭の中には、中学生の時のかわいらしい私と、きらびやかなモデル時代の私と、牛を引いている私がきっとごちゃごちゃになって大変だったと思います。
 ともあれスタジオの中へ、牛は少し緊張気味。大抵の動物はそうですが、スタジオの独特の雰囲気、カメラや機材、照明などに戸惑うようです。でも、牛以上に緊張している人がいました。そうです、牛屋のおじさんです。番組スタッフがその姿を見てひらめいたのか、急遽、おじさんも一緒に出演することになりました。なんとセリフ付き!
「ガチョーン」
 何が起きたか解らないまま、作業着姿で出演してしまった牛屋のおじさん。この時、“吉田君のお父さん”になったのです。

 放送日の翌日、ぜひ“吉田君とお父さん”をレギュラーにしたいとの電話が入りました。視聴者からの反響がすごかったみたいです。再度、交渉に向かいました。同じようにコタツでごろ寝を楽しんでいたおじさんは「あの牛は市場にやっちゃったよ」と一言。「えっ?」ということは殺されてしまった!? このときのショックは今でも忘れません。一代目の吉田君は1回だけの出演で終わってしまったのでした。
 
 二代目の吉田君はその後2年位大スターの道を歩むことになりました。面白かったのは、彼女(吉田君はメス)が他のタレント動物と同じ様に“お出かけ大好き牛”になったということです。
 通常、牛屋さんから出かけていく時は、売られて他の牧場に行くか、肉になってしまうかのどちらかなので戻ってくることはありません。ところが、スタジオやイベント会場で楽しく過ごし、また仲間に会えるようになった吉田君は生きがいを見つけ、他の牛にもきっと自慢したのだと思います。ちょっと悲しかったのは、吉田君のお父さんが飼っている他の牛も喜んで車に乗るようになったということです。戻ってくることは出来ないのに…。
 え? その後、吉田君はどうなったのかですって? 私の動物園で終生過ごし、乳牛としては大往生、23才で亡くなりました。


 その頃のプロダクションのキャッチフレーズは“アリからゾウまで”、どんな生き物でも揃えますという分かりやすく大胆なものでした。でも、実際ゾウはいませんでした。
 テレビ番組からの依頼でゾウの出演を頼まれたことがきっかけでゾウを迎えることになり、ミッキーというメスのアジアゾウが家族の一員となりました。手探りの飼育でしたが、彼女と私は深い絆で結ばれ、それから23年も一緒に暮らしています。

              <ELPHA FRIENDS & LEA NEWS 2006夏号に掲載>

投稿者 sayuri : 2006年07月14日 10:39